株式会社星野土建は「かわさきSDGSゴールドパートナー」に認証されました。
横浜市にありながら何かと川崎市にも縁のある我が社ですが、
この度ご紹介いただき、今まで取り組んできた活動が評価され
認証の運びとなりました。
横浜市、川崎市内は既存の住宅の多く立ち並んでいる場所が多いですが、
改築・改修から日常のメンテナンスまで、持続性のある住環境のために
弊社が取り組めることを今後も地道に努力していきたいと思います。
「かわさきSDGsゴールドパートナー」に認証されました。
子供部屋をどう計画するか
「子供部屋」をどう考えるか、どこに配置するのか・・・
住宅を設計している時にお子様のいるご家族だと一つの大きなテーマが
「子供部屋」となっている方もおられるのかもしれません。
私自身も子育てを行い、思春期の多感な時期の親としての意見を言うと、
「子供部屋」は家の中での配置は親が子供を監視するような位置ではなく、
さりげなくお互いの気配が伝わるような位置がベスト!
であると思います。
「子供部屋」に関しての情報を見ていると、子供は居間で親と一緒にいるのが良いとか
居間の近くに子供部屋があって、何かと親から見えることがつながりである
ことが良いことのように書かれているものも多いように思います。
確かに子供が小さいうちはそれが良いのかもしれませんが、
子供は少しずつ自立していきますよね。
しかも子育てをしていると、10年や15年の時間はあっという間に過ぎていきます。
なので、子供が小さいうちのことやほんの一瞬の子育ての時期のみにフォーカスした
ような使い勝手の住宅の計画をみると、
「もう少し長いスパンをみて計画を考えるべきじゃないのかな・・・」などと考えてしまいます。
もちろん、「子供部屋」にはいろいろなご家族の考え方があると思います。
しかしながら、自分が子供の頃を思い出してください。小学校も高学年になると、
自分一人の時間も欲しくなるのではないでしょうか。
そして付かず離れず親や家族での時間を過ごしつつ自立していくのだと思います。
その過程で、子供が成長していく上で欠かせない、自分だけの場所としての
「子供部屋」が必要な時が来ます。子供の成長は早いです。
その場所が親からいつも監視されているような場所では、「私の場所」にはならないですよね。
なので、子供部屋は最初によく計画を考えておく必要があると思います。
そして、家族が集まり楽しめる部屋が別にあれば自然と子供と親は集まれるもの。
いつの時代も親子は葛藤がありますが、喧嘩するほど仲が良いとは良く言ったもので
考えや感情をを伝える、議論する、時に反発する、そして和解する。
家族の中でそうしたことが当たり前にできることは実はとても恵まれたことなのではないかと思います。
子供が萎縮せずに堂々と成長している家族なわけですから。
住宅は家族の生活の器です。その中で「子供部屋」をどう作るのか、
家族の中でお互いの目線で考えてみると我が家だけの意外な案も生まれてくるのかもしれませんね。
手刻みの仕事は何が良いのか
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「大工の手刻みで家を建てています」というと前時代的な考えかと思われがちですが・・・
木という材料の性質に従い、木造住宅を建てて住むということを一つの流れのように考えた時には
極めて理にかなっている方法の一つが「手刻み」だと思っています。
まず、木を使って家を建てる時には構造の計画は極めて重要です。
構造は人間で言えば骨格です。作り方によっては弱い家にも強い家にもなります。
今の時代、建てられる家のほとんどはプレカットの機械加工で作られていますが、木材を加工して
組み合わせる部分の継手や仕口と呼ばれるものは、いくつか決まった加工に限られてしまいます。
その反面、手刻みで作ることができる仕口、継手は数多くあり、しかも、加工時の工夫により
寸法や作り方に色々なアレンジが可能です。
設計し、施工監理している立場の私にとって、非常に興味があるため仕口や継手といった
部材の強度試験の場には多く参加しているのですが、そのような工夫により、
プレカットのように金物で補強せずとも、木の持つ性質に従い、木を組み合わせて、
地震時や強風時の建物の変形に耐える強い仕口、継手を作ることが可能だと
いうことが証明される場に立ち会うと、「手刻み」の優れた部分を感じずにはいられないのです。
服や家電といった大量生産のものと違い、住宅は一軒一軒その形が違うものです。
「手刻み」であれば、大きな家からコンパクトな家まで形の違う一軒一軒の骨格を考えた時に
仕口や継手に多くの工夫を加えることが可能であるため、その一軒一軒に
対応することができます。そして住まいづくりにはそれができることが理想なのではないかと思っています。
プレカットが台頭してから、建てられる住宅の作り方はどれも同じようなものになって
しまいました。戦後の持家政策を引きずりながら、近年でも多くの住宅を供給するため、
短時間で安価な工業生産によって住宅が生み出されている結果なのですが、果たして
長持ちするでしょうか。環境問題がこれだけ話題になっている中で、
そろそろそこから抜け出すべきだとも思います。
「手刻み」の家は作るのに時間はかかりますし、金額も少し割高です。
ただ、人が知恵を絞り、工夫を凝らして仕口や継手を加工して建てられた住まいは
そのぶん長く愛着を持って住まうことができるのではないでしょうか。
その家に住み続けるコストを考えると、長く愛着を持って住まうことができる方が
かえって割安かもしれません。
今の世の中の当たり前を、ちょっと昔に行っていた当たり前で見てみると、
新しい何かの発見があります。「手刻み」は住まいづくりにおけるそのような
新たな発見につながるのではないでしょうか。
我利我利な心に気をつける
仏教では「我利我利」とは自分本位で夢中に行動するさまのことを言うそうですが、
「自分の権利、主張はするけれど、それは自分の得のため。」
「自分が好きなこと、輝けることは進んでするけれど、周りのことは思いやれない。」
そんな自分さえよければよいという我利我利の考え方で、思いやりのない言動を取ることが
あたり前であるかのようなネットへの書き込みを最近よく目にするのは私だけでしょうか。
企業を経営していると、いろいろな人と出会うことになります。特に建設系は未だ労働集約型の
業態が色濃く残っているので、人的な要因が多くあります。その中で、人とのコミュニケーションは
非常に重要です。
我利我利の心を持ってしまった人は自分中心の思考になってしまっているので、
そこには気付くことができません。自身の我利我利の考え方が原因で
会社にいられなくなったり、仕事を失ったりすることもあります。
そのあとで自身の勤めていた会社や、仕事への不満や悪口を言っていたりします。
でも、自分では自分が正しい、相手が悪いと思っているので、
何度も同じことを繰り返してしまうのではないでしょうか。
我利我利の心は意識しないと知らず知らずのうちに自分を蝕んでしまいます。
人の不幸は蜜の味と言いますが、相手の誹謗中傷や、悪い噂話を好んでするのも、
それによって自分の立場を上げて相手の立場を下げることを期待しているのであれば、
我利我利な考えに過ぎません。
それを聞かされる当事者になった時によく考えるべきなのは、
その真相はどうなのかということ。
「〇〇さんがこう言っていた。」「〇〇さんの考えはこうだ。」という話で、
〇〇さん本人に聞くと全然違う話がかえってくることは良くある話です。
そのような噂や悪口に下手に乗ってしまうと我利我利の考え方で、
関係のない自分が思いやりのない言動、行動を取ることになります。
その結果、相手も自身も傷つけることになるのであれば
少し慎重に物事を見定めて考えるべきだし、相手を思いやる気持ちが必要ではないでしょうか。
人の心や思いは相手とよく向き合ってみないとわからないことが多くあります。
ただし、人が自分を思いやる心を自身の我利我利の心を満たすために
利用する人もいるので、そこが非常に悩ましいのですが。
「自分が損をしないために」とか、「自分が得できる」「勝ち残るために」
そのような我利我利の心を煽る情報や考え方が多く氾濫しているのではないでしょうか。
今の時代だからこそ「自分が」「自分は」ではなく、
「相手と一緒に自分が」とか「相手のために自分は」といった他者を思いやる
利他の心が重要であり、求められているのではないかと思います。
住まいづくりを仕事としていますが、一軒の家を建てる時には、何人もの人が関わります。
そんな他者を思いやる心を大切に住まい作りができたなら
それはお施主様にとっても素敵な家になりますよね。
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考えるための時間
町田市内でリフォーム工事を行っているのですが
現場の仕上げ工事も佳境になって、
壁の漆喰塗りを左官屋さんが頑張っています。
この現場とは別なのですが、
先日キッチンのリフォームを完了した御施主様から
「考える時間を頂けたので、とても納得できるリフォームが出来た。」
と感謝の言葉をうちの監督が頂いたそうです。
「納得して考えられる時間を、御施主様と
一緒に持てる打ち合わせを行うこと。」
これはいつも心がけて打ち合わせに望むように
弊社では考えていることの一つです。
近年のリフォームや新築の現場の中で
「業者に希望を聞いてもらえなかった。」
という不満を声にする顧客の方が多くなっているようです。
その根本にあるのが、コストの問題からくると思うのですが、
業者の考えが主導にある,いわば業者の独りよがり
のような顧客への対応の仕方にあると思います。
まあ、これはその会社により仕事の仕方に差があるので
一概に当てはまるとは言えないのかもしれませんが・・・・。
この町田の現場では、従来の漆喰の壁がプレミックスのもので
塗られていたのですが、プレミックスでは味気ないため、
せっかくやるのであれば・・・ということで、
左官屋さんが昔ながらに調合して
塗ったものとの違いを説明出来るちょっとした
塗り見本を作って、現場で説明しました。
左官屋さんも、よく機転を利かせてくれたと思います。
細かなことかもしれませんが、どういったものをどのような考えで使ったのか。
これを理解してもらえることで、その仕事は
ぐっと違うものになるのではないでしょうか。
この見本、急いで用意したものなのでキレイなものではない
かもしれませんが、時に言葉で、
時にこうした見本を作ったり絵を書いて
現場での打ち合わせを行います。
今回の打ち合わせは本物志向のお客さんに届いたようで、
やはり昔ながらの調合のもので行くことになりました。
当たり前のような打ち合わせの風景なのですが、
前述の業者の独りよがりのような仕事であったなら、どうでしょうか?
こんな説明も、考えのやりとりも行われないままに、
ただ時間が早いとか、コストが安いとか、こだわりとか
そんなことで押し切られてしまうんじゃないでしょうか。
もっとも、そこを重視している場合には別ですが。
よく、良い業者を見つけるにはどうしたら良いのか・・・
ということを聞かれることがありますが、
満足度を上げたいのであれば、
自分たちのためにどれだけ考える時間を費やしてくれるのかも
その一つの目安になるのかもしれません。
工務店の仕事〜手刻みについて考える〜
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年明けから改修工事を行うため、大正末期から昭和初期に建てられた
地元の建物の調査を行いました。
何度か改築が繰り返されていて、変更されている箇所も多いのですが、
梁組みは今の建物と違って、独特の雰囲気があります。
残っている土壁も、よくある戦後の簡略化された土壁と違い
丁寧に施工されています。
工事は大々的なものではないですが、この家をお子さんやお孫さんが
住み繋ぐ良きお手伝いが出来ればと思っております。
工務店としての星野土建の仕事は何かといえば、
建てることも大事ですが、建てた家を直す技術を持っておくことが大事なのも事実。
今の世の中、ほとんどの新築住宅がプレカットや省力化された構法の中で家が建っていますが、
同時にその省力化の元で建てる技術はおろか、直す技術も捨てられようとしています。
手刻みの技術とか、伝統的なものというと、何か特別なものの雰囲気も漂いますが、
今、街中に普通に建っている木造の軸組の住宅を直し維持していくにも
そうした技術は不可欠です。特に無垢の木を多用した家を作る場合には
これは避けては通れません。最近流行に乗っているのか、無垢の木や
天然素材を扱っていると謳う会社が増えましたが、
その反面、そうした作る技術的なことは、おざなりにされてるものも見られます。
私たちが手刻みの仕事にこだわり、刻み場を維持し、手刻みを活かせる伝統的な架構
を用いた建物を建てていたりするのは、そうした技術を次の代に繫げていくのも理由の一つ。
せっかく建てた大好きな木の家を、永く住み繋いでいただける
環境を持って仕事していくことが、私たちのやっていくべきことの一つでもあります。
伝統的な日本の住宅や、軸組構法の住宅は、直せる技術が残っていれば、
例え建てた人間が亡くなり代が変わった50年後でも直すことができます。
ただ、最近良くある、〇〇メーカー独自の技術で・・・とか
パネルの特殊なものを使用した住宅などはそれが難しいかもしれませんね。
近年、天然指向のブームもあってか、木の建物に憧れる方も増えてきました。
ただ、木の家は必ずメンテナンスが必要になります。
木の家を建て、直し、維持していく技術を持ち、その環境を維持していくこと。
当たり前のことなのかもしれませんが、それを地道に行っていくのが、
当社星野土建のような、工務店の仕事と思っております。
なぜ木で家を?(ゴミとエネルギーの問題)
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- 住まい造りで迷っている方へ
先日、ある業界紙の取材を受けていて、
「星野土建さんはどのような考えで仕事に取り組んでおられますか?」
と聞かれました。取り組んでいることには、色々な思いがあるので、
なかなか一言では表せませんので、長い話になってしまいましたが、
人に聞かれると、なかなかとっさに返事が出来ないものですね。
私(星野将史)はスキーが趣味でしたので、
30代前半まで、毎年、何回か雪山に出かけていました。
今は時々釣りに出かけ、船で海に出ては釣りを楽しむことで、
自然の恵みに触れています。
ですが、そうした自然相手の趣味をしていると、
自ずと環境問題に直面することになります。
私が大学を出て社会人として働き始めた当時、
建築の仕事から出るゴミの量は統計を見ると、
年間1億トンもの建設系の産業廃棄物が排出されて
いることになっていました。膨大な量ですね。
それから暫くして、家業に戻りましたが、
どうせ建てるのであれば、自分は壊したときには
ゴミになったとしても、自ずと自然に還る材料を
使って家を建てていこうと漠然と思っていました。
私自身、元々、木の持つ風合いが好きなのもありますが、
木造に興味を持ったきっかけの一つにこのゴミの話があったのは確かで、
おかげさまで様々な良き出会いにも恵まれ、
木造に関して様々なことを学び、実践しつつ、今に至っています。
実はこのゴミの問題、これからさらに増えていくのを、
皆様ご存知でしょうか。
国土交通省が先月の28日、2050年になると、
人口減少で日本の国土の約6割が無人になる
という試算を発表しました。
いまよりも無人地域が2割近く広がるということですので、
これから、解体される建物の量がどんどん増えて、
建設系のゴミはかなりの量になる。これは明白な事実です。
これは建ち並んでいる建物の量を見れば分かりますね。
そしてそれを処分するエネルギーが
私たちに重くのしかかってくることになります。
先の3.11の東日本大震災で損傷を受けた
原子力発電所の廃炉がどれだけ難しく困難な
ことかを私たちは学びました。
また、これから解体されるであろう
町中の建物に多く使われているアスベストも
私たちの健康に大きな影響をもたらす問題です。
今まで利便さに頼り、あまり目を向けてこなかったことの一つに、
「物をつくれば必ず処分を考えなくてはならない。」
ということがあります。
近頃、エネルギーという点では、住宅を使う上での
エネルギーを減らすという意味で省エネが叫ばれていますが、
建てるところから壊すところまでの
ライフサイクルを考えてエネルギーを考える必要があります。
予言という訳ではないですが、私はここで断言しておきます。
エネルギーのうち、家庭の消費エネルギーは、仮に、エネルギーの
使用に対して何の対策をとらなかったとしても、これから必ず減少します。
そして残念ながら、おそらくそれは、住宅に対しての何かの政策や
対策が功を奏するのではなく、人口減少という社会現象によって
成し遂げられると思います。
これは統計にしても、目にする周りの街や
住宅の状況から判断しても明らかです。
だからといって、住宅や建物が使用するエネルギーに関して
何もしなくてよいという訳ではないですが・・・・。
そして、その代わりに増えるのが、
増大する廃棄物処理に関わるエネルギーです。
これはそのうちこのブログでも触れたいとおもいますが、
かつて公害日本と言われるほど、各地で公害が発生した我が国ですが、
その経験をふまえ、環境汚染の無い社会を築き上げ、日本にはそんな
問題は過去のものと思われているのが実状です。
ですが、そんな私たちの出した廃棄物が現在どれだけ途上国の環境を
汚染しているのかをご存知でしょうか?
「エネルギーを使わないエコな暮らし」を実践することは良いことですが、
それに加えて、「壊す、捨てるに掛るエネルギーを考える暮らし」
が、今とこれからを考えて私たちに課せられた吃緊の課題だと思います。
私も現代社会の恩恵を受けて生きている人間なので、
あまり偉そうなことは言えないのかもしれませんが、
「環境に優しい住まい」を考えるのであれば、是非その辺りも考えた
住まい造りをご一考いただければと思いますが、いかがでしょうか。
お金を信じるか、人を信じるか。
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- 住まいへの考え
- 住まい造りで迷っている方へ
家を建てたいとか、リフォームを考えている、と言った方と話していて、
「相見積りを取ってみたけど、イマイチどこも信用できない・・・。」
という方が結構おられます。
失礼な物言いになってしまうかもしれませんが、そうした方のほとんどが、
高いとか安いと言った金額で物を決めてしまう。いわば「お金を信じる」
ことで失敗してしまっていると思います。
以前、「私は相談しにきた人には見積りを3社以上とって金額を比べなさいと
アドバイスしている。」と豪語されている建築士の方にお会いしたことがござい
ましたましたが、おそらく、工事内容の細かい部分等理解知っていないであろう
一般の方に、金額だけで物を決めさせて工事をしなさいというのは、
簡単なアドバイス程度のこととはいえ、プロのアドバイスとしては
非常に無責任なことなのではないでしょうか。
確かに見積りを含め、いくつかの業者を見て回ることは必要と思います。
お金のことも大事だし、色々な意見があることとおもいますが、
私としては、「やっている仕事を見て、信用して任せられるかどうか。」
にかかっていると思います。頼みたいと思っている会社があるのなら、
その会社はどこに事務所があり、どんな人が、どのように自分の家の
仕事を行ってくれるのかがはっきりしていること。それを見ておくこと
が必要と思います。
ようは、「人を信じる」信頼関係を築けるのかということですが、
ネットでも何でも、情報はキレイに発信しようと思えばいくらでも
出来る世の中です。ここは自分の目を開き、手で触れてみることが大事です。
頼む会社の事務所に行き、作業場、現場を見ることが出来るのであれば
見せてもらい、実例等参考に出来るものがあればそれも見せてもらい、
自分が信用できる相手かどうか考えることがまず重要と思います。
この時代ですから、物の値段は同じ地域であれば、
実はそんなに変わらないこともあります。
良いものはそれなりの値段、安いものはやはりそれなりに
理由があってのものと言ったところです。
もっとも、建築の仕事のように手作業の多いものに関しては、
その技に掛る金額の部分もあって、値段もまちまちなのは確かですが、
見積り段階で、その内容まで考えて、一般の人が答えを出せるのか、
非常に疑問なところです。
もしかしたら、高い値段のものの方が、
後々得な工事の場合もあったりするのがオチだったりもします。
また、税金も上がり、どの会社も経費を考えざるを得ない今の状況の中で、
必要以上の「安さ」には無理が生じます。金額を信用して頼んでも、
頼んだ相手がその無理のために無くなってしまうこともあり得ます。
確かにコストは重要なのは事実です。でもかかるお金がどうしてそうなるのか
を理解するために、「お金を信じるか、人を信じるか」は、とても重要
なことだと思います。
誰を信用して仕事を頼むか、迷ったら、立ち止まって考える時間も
少し必要な気もしますが、いかがでしょうか。
朝のひと時の話
朝のひと時、図板を見ながら打ち合わせを行う大工さん2人です。
手刻みのため、細かな打ち合わせ、確認が必要なのでやはり真剣ですね。
私も設計・監理の立場からこうした場に加わりますが、そしてこうした話の中から自然と良い考えが生まれたりします。
現場では大工以外にも左官、設備、板金、塗装など様々な職人が仕事をしますが、
そこに何人か人が集まり話し合えれば、一人で考えるよりさらに
良いアイデアや考えが自然と生まれます。
そんな時にはとってつけたようなくだらない話は不思議と出ないんですよね。
出ても皆聞きませんし・・・・。
会社としてはそうした場が自然に生まれる環境を現場に作ることを大事に
仕事をしていこうと思っています。
「エコ」ってなんでしょうか?
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- 住まいへの考え
- 住まい造りで迷っている方へ
3月の震災後、電力消費の制限や資源活用において無駄遣いをなくそう
という動きが大きくなってきています。
テレビ、マスコミの、電力消費のより少ないものへの買い替えを促すような
電力消費の少ない製品であることのアピール合戦のような報道には少々呆れますが、
本当に分かっている人なら、今盛んに報道され、助成金まで出されて後押しされている電気を使わなくてはならず、過大な設備に投資しなくては達成できない「エコ」というものには疑問をもたれるのではないでしょうか。
震災後価値観が変わったと言われますが、実はそれよりも前に住宅に関しては、上記の電力を使うこと前提の過大な設備を住宅に備え付けることに関して疑問をもった方が出始めていたのが事実だと思います。
今まで住宅では、高気密高断熱、オール電化等々流行りのキーワードのように性能に特徴を持たせた住宅が生まれてきました。でもその殆どが、設備ありきで何かの機械を回さないと、その性能を発揮できないのが事実だと思います。また、手を動かせばできることに電気のアシストがそんなに必要でしょうか?
それよりも、過大な設備にかける金額で、別の快適さを考えられる住まいづくりを選択できないかという考えがそこにあるのだと思います。
それに気づき、もっと自然の風をうまく取り入れたり、長い軒の出を確保して夏の日射に耐えたり、昔ながらの知恵に学ぶ姿勢で家づくりに取り組み、機械を回さず、エネルギーを極力使わず、本当に「エコ」を実践されている建て主様が弊社にも何人もおられます。
確かに、都市部の立地条件や気候上の問題で設備機器を取り入れることが良い場合もあるかもしれませんが、日本は北から南まで気候区分は様々です。流行りを追いかけるが如く、全てが画一的にひとつのやり方というのは果たしてどうなのでしょうか。
日本は唯一の被爆国でありながら、自分自身の手で放射能の被害を再度被ることになりました。
日本の経済を考えれば、電力供給上必要不可欠と判断されたのは事実と思いますが、原子力発電所がなぜ必要になったか、どうしてそこまで電力消費を考えなくてはならないのかを考えれば、子の代、孫の代を考えると、今流行りの「エコ」ではない別の考えも出てくるのではないでしょうか。